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「家電スタートアップの「アプライテック社」が誕生するまで」

アプライテック社は、家電メーカー大手であるコンベンショナル社が家電の新たな領域を開拓するために作ったCVC型のスタートアップだ。

コンベンショナル社は、1980年代ジャパンアズナンバーワンと言われた時代に白物から黒物までの家電を総花的に手がけ急成長を果たした新興家電メーカーだった。

しかし失われた20年間に、性能を重視したプレミア家電戦略が、じわりと品質を上げながら競争力のある価格で日本に参入してきた中韓勢ともともとブランド力のあった財閥系家電メーカーの間で、埋没してしまう。

2010年以降は、日本の他の電機メーカーと同じように、リストラ・撤退の一途で、新規の投資もままならない状態であった。

幸にメインバンク制の温存と日銀の超緩和的な金利政策に助けられて、殺さぬよう生かさぬようという表現がまさに当てはまるように、コンベンショナル社はなんとか今まで生き延びてきた。その間、あの名門シャープが台湾メーカーの傘下に、東芝アプライアンスも中国メーカーに買収されていった。GEも家電事業を中国企業へ売却した。

家電メーカーの業界は中国勢が席巻していたのだった。



しかし、そんなグローバルの業界動向にはめもくれず、今の社長である松下は、銀行から送り込まれたコスト削減重視のマイクロマネジメントを行い、縮小均衡による黒字化のみを目指していた。当初、松下の名前を聞いて、もしやあの方の関係者?、と心躍ったプロパー社員であったが、松下のそんなやり方に次第に疲弊していたのだった。

そんな中プロパーでコンベンショナル社に入社した名倉も、悩みを深めていた。経営企画一筋でやってきて、将来の社長候補と目されたこともあった名倉であったが、年齢は45を超え、本来であるならばサラリーマン人生で一番脂が乗った時期にもかかわらず、会社はリストラの嵐だ。

新規投資もできず、競合他社の商品には価格のディスカウントで勝負するしか打ち手がない中で、毎日を忸怩たる思いで過ごしていた。

「俺も転職しようかな」と思い、転職サイトに登録はしてみたものの、何か不完全燃焼感が残り、転職にも身が入らない。日中は仕事もさほどなく、時間を持て余していた。

そんな時に頭を過ぎるには、プラズマテレビ事業への乾坤一擲の投資を行った時に味わった興奮と、結局投資が失敗し、言いようのない悔しさ、喪失感を味わったのだった。

あの時が、俺の人生の絶頂だったかな、と呟いた時だった。目の前の電話が鳴ったのは。

なんと、リストラ遂行社長の松下から直接電話があり、家電に関する新規事業を推進して欲しい、予算は1億円で、という業務命令だった。

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